人生とは気づくこと。

ふと思ったことがある。実は人生は「学ぶ」ということよりも「気づく」ということのほうがずっと重要なのではないだろうか。多くの人が煙草が体に悪いということは学んでいる。しかし止めることが出来ないのは、体に悪いということを「学んで」はいるが、「気づいて」はいないからじゃないだろうか。多くの人が、パチンコは損をするということは学んでいる。しかし止めることが出来ないのは、損をするということを学んではいるが、「気づいて」はいないからじゃないだろうか。


人間というのは「学ぶ」だけでは意味が無く、「気づく」ことによってそれが身になるのではなかろうか。前述している煙草を例に取ると、煙草が体に悪いことは誰でも知っている。しかし、自分で吸っている時や自分に周りの大事な人が吸っている時には気づいていないのだ。「自分は大丈夫だ」「そんなことは自分の身の回りでは起こらない」などなど、煙草が体に悪いということに気づいていないのだ。そして、自分や自分の周りの大事な人が取り返しがつかないことになったときに気づくのだ。「あ、煙草って体に悪いんだ・・・。」っと。


僕は特別だ。こんな僕は僕じゃない。本当の僕はこんなものじゃない。本気を出したらこんなものじゃない。


こんな言葉をよく聞くが、そろそろ気づくべきじゃないだろうか。どんなに汚いことをしようと、どんなにばかげたことをしようと、どんなに今が自分が思い描いた未来と違っていたとしても、それは僕自身が歩んできた道であり本当の僕であるということに。特別な人というのは一握りしかおらず、多くの場合はそれは自分ではないんだ。


そりゃあ、ずば抜けた天才というのはいるだろう。IQ200の超天才児というのも世の中にはいる。しかし、それは全人類のほんの一握りでほかの大多数はどんぐりの背比べぐらいの違いでしかないのだ。違いが出てくるのは、自分が普通でどこにでもいる人間かということいかに早く気づくかによるんじゃないのか。自分が普通であるということに早く気づいて、どこでほかの人と差をつけるかということを考え、努力しかないということに若いうちに気づけた人が天才と呼ばれる人たちじゃないのだろうか。


いろいろな物事に早く「気づく」ことこそが一番の成功への近道なのだろう。