便利になって失ったもの

今日、部屋を片付けていたら学生時代に修学旅行で撮った写真が出てきた。その写真を見ながら感傷に浸っていたんだけど、最後のほうに修学旅行の写真を現像したいからインスタントカメラを使い切るために適当に撮った写真が何枚か出てきたんだよね。

その写真ってのはとにかくインスタントカメラを使い切るために撮らないといけないっていうなんか分からない使命感みたいなもので撮ったやつで、どうせ撮るなら面白い写真を撮ろうって友達と盛り上がって撮った写真なんだ。


友達を護送している風に見せてる写真

ギターをものすごく重そうに持っている写真

なんか知らないけど、みんな裸になって筋肉自慢みたいなことをやってる写真


そんな馬鹿みたいな写真をとにかくインスタントカメラを使い切るためだけに撮ったんだ。


で、今の学生ってインスタントカメラとか使わないで、携帯のカメラ使ったりとかデジカメ使ったりとかして写真を撮ってると思うんだ。デジタルカメラとか携帯のカメラを使うことで僕なんかよりもいくらでも多い写真を撮ることができて、何気ない瞬間の写真とか僕が学生時代だとカメラっていうものを普段持っていないから取れなかった写真ってのをたくさん持っているんだろうね。

でもね、インスタントカメラを使い切るために頑張って撮るっていうあの感覚を今の学生とかは感じることは出来ないんだろうなぁ。

デジタルカメラ、携帯のカメラを使うことでほぼ無限に写真を取れて、いつでも写真が取れるって言う意味では便利な世の中になったんだと思う。けど、あのカメラを撮りきるって言う盛り上がりも体験できなければ、その盛り上がりがあったからこそ取れたあの馬鹿みたいな写真も便利になったがゆえにとることがなくなってしまったんだと思う。

今の世の中は、昔に比べれば色々便利になったと思うよ。けど、便利になったがゆえになくなった感動や盛り上がりってこんな感じで結構あるんだろうね。