ビビリとかじゃなくて、Webは匿名だから面白い

匿名だからこそのよさがWebには有る。

顔を出す。経歴を出す。どこに住んでいるかを出す。実名をさらす。そうすれば確かに記事の信憑性も上がるだろうし、購読者も増えるのかもしれないし、つながりも増えるかもしれない。ただ、それは先入観が入るってことじゃないの?

そんな先入観は僕はいらない。それじゃあ面白くも無いし、好き勝手なことも書けなくなる。

今の状態だと、このブログを書いている人は男かもしれないし女かもしれない。「僕」という一人称を使ってはいるけど、僕が「男」か「女」かは僕しか分からない。けど、そこで顔を出した時点で男であるか女であるかが一発で分かるし、ある程度の年齢も分かってしまうだろう。それは男が書いた文章か、女が書いた文章かとかの先入観が入るってことだ。

男が痴漢のことを記述するのと、女が痴漢のことを記述するのでは世間の反応は違うだろう。男が痴漢の被害にあってこんなにつらかったって記事を書いたとしてもそれを読んだ人は嘘だと思うだろうし、女が痴漢の冤罪で捕まったって記事を書いたとしたらそれも読んだ人は嘘だと思うだろう。それと同じ理由で、美形な人が昔の恋愛話を書くのと不細工な人が昔の恋愛話を書くのでは世間の反応は違うだろうし、若輩者が人生を語るのと年配者が人生を語るのは読み手の信憑性が全く変わってくる。そういう例は挙げだしたらきりが無いぐらい出てくる。

僕にとってWebのすばらしいところは発信する人は勝手に発信するだけで、後は読み手の読み方次第であるというところだ。僕がモテてモテてしょうがないっていう妄想を書いたとしても、それを信じるか信じないかは読む人次第。そして、読み手は文章だけで判断して「この人はかっこいいんだろうなぁ」とか思うという微妙なつながりがたまらなくいいと思ってる。

Webって究極のコミュニケーション方法ってのが僕の持論。他のコミュニケーションツールで全く先入観なしで他人とコミュニケーションが取れるツールというものを僕はまだ知らない。人とあって話せば、大体の年齢が分かるし顔による先入観も生まれる。電話で話したとしても顔は分からないけど声のトーンとかで先入観が出てくる。「私は先入観なしで人と接しています」とか言う人もいるけど、そんなのは嘘。心理学的にも第一印象がどれだけ重要かという論文も出てるし、それによって先入観が生まれることも証明されている。

先入観が無い世界ってのはすばらしい。そしてそれを個人で簡単に手に入れるのはブログが一番手っ取り早い。ビビリとかそんなんじゃなくてこのあまったるーいつながりが好きなでブログを書いている人って多い思う。んで、ブログを使って信憑性のある情報を発信してどうにかしようと考えているのはブログユーザのごく一部であって、顔をさらしてまでコミュニケーションをとろうって人はそんなにいないというのが実情じゃないかな?

まぁ、この文章を読んでどう思うかもあなた次第。それが、ブログのいいところ。