土下座に価値は無い
一般的に土下座は最上級の謝罪の態度だと思われているのかもしれない。でも僕が思うに土下座なんてものには全く価値が無い。
↓みたいなケースを想像してみる。
遊び相手が遅刻してきた。
遅れてきた相手は、ついた瞬間は謝る気も無くすぐにどっかに遊びに行こうとしている。だけど、こっちが怒っているのを感じ取ると仕方ないという具合で謝ってくる。謝罪の内容は「ごめんごめん。そんなに怒らなくても・・・。」という感じで、とりあえず謝ってみましたという態度。ずっと頭を下げ続けられるがそんなことをされても別にムカつくものはムカつく。こっちが許す態度を見せなかったらいきなり土下座してきた。
街中で土下座されると驚くし、こちらも許さざる終えなくなりしょうがなく許す。
これは実際に僕の周りであったことなんだけど、この場合の土下座って本当に謝ってるのか?
確かに僕は許すは許したんだけど、それはこれ以上土下座をされたくないから許したっぽい態度を取ったってだけだ。謝罪するなら何かしらの解決策を出すとか、何で遅刻をしたのかを説明するとか、そういう建設的な話をしてほしい。「ごめんなさい」という謝る態度はすばらしいし、そこを否定する気は無いんだけど、そこに至った理由とこれからどうしていくかってのを話してくれないとどうしようもないと思っている。
その点で土下座ってのは最悪だ。
土下座ってそれをされた時点で、会話を終了する気をありありと感じてしまう。街中で土下座されて許さなかったとしたら、間違いなく許さなかったほうが悪い人だと思われる。どういう理由で土下座されているのかは分からないはずなのに、それを見ている人は「土下座してんだから許してやれよ」って思う人が多い。注目が集まるのが恥ずかしいし、逃げるのもしょうがないからとりあえず立たせると、立たされたほうは許してもらったと勘違いして、会話が終わる。こんな建設的じゃない謝り方って無いよなぁ・・・。
土下座ってのは謝ってるんじゃなくて、許すことを強要しているんだ。これだけにことをやってるんだから許してもらって当然だというような雰囲気がありありと出てしまう。謝ってて許してもらえなくて、これなら許してくれる?って言いながら土下座するなんてやからも要るけど、あれは許すことを強要しているとしか思えない。
謝るときに土下座をするなんてやめましょう。少なくとも僕は土下座をされると非常に不愉快な思いになるし、僕とおんなじ感覚を持っている人も少数派かも知らないけどいるはずだ。許すのを強要するんじゃなくて、ちゃんと理由やなぜそうなって次からこうするというようなことを誠意を持って話したほうが、よっぽど謝るという態度に近いんですから。