社員は質より量なのか?

最近思うこと

書いてあることはよく分かる。技術を学ぶとか、何かを学ぶということに関していえば量が物を言うというのは体験として非常に分かる。ただ、これが社員となると話は全く別だなぁと思った。

を読んでさらにそう思った。

作業面での質より量

ソフトウェア業界については一人の出来る社員の生産性というのは出来ない社員の生産性とは全く違う。本当にびっくりするほど違う。言い方は悪いが力作業については出来るといっても一人の社員が出来る作業というのは出来ない人と比べても10倍が関の山だと思う。確かにそれは一人が10倍の作業を出来るのだからすごいことはすごい。ただしソフトウェア業界では本当に100倍といわず生産性が違う。出来ない人が1ヶ月かかって出来なかったような作業を出来る人は1日かからずに出来るということが本当に起こりうる。それぐらい生産性が違う。出来ない人が1ヶ月間努力をした分によるその人自身の生産性の工場は確かにあるんだが、それを別個にすると出来る人がひとりでやったほうが早い作業というのは巷を見渡せばいくらでも有る。

モチベーションでの質より量

上で書いているように出来る人の1日は出来ない人の1ヶ月に相当する。ただし、それによって給料が100倍違うかというとそんなものではない。出来る人と出来ない人の給料の差なんて会社に属している限り2倍〜3倍が関の山だと思う。こういう状況が続けば仕事が出来る人のモチベーションは嫌がうえでも下がってしまう。そりゃそうだ。仕事が出来る人からすればいてもいなくても変わらないようなやつが給料をもらって、もしかしたら仕事が出来ないからこそ発生するような残業を行うせいで出来る人のほうが出来ない人よりも給料が少なくなるという現象が起こっていることもあるからだ。こんなことが発生するぐらいなら社員は質より量で責めたほうがいい。

稼ぎとしての質より量

ただし、これも会社対会社という見方をするとがらりと側面が変わる。上で書いているようにどんなに出来る人でも会社がその人を雇うという面では一般的に2倍〜3倍程度の給料しか払わない。ならどうやって会社は金をもうけようとするか?答えは単純だ。出来る人の下に何十人もの人をつけて、出来ない人にはたらたらと作業をしている風に見せながら、実際は出来る人が全ての作業をおこなうようにすればいい。こうすれば出来ない人が出来る人と比べて1/2倍の給料しかもらえなかったとしても、その下にいる何十人もの給料が出来る人のおかげで入ってくるのだから会社としては出来る人を一人で雇わせるよりも何十倍もの稼ぎを得ることが出来る。

社員としての質より量

会社としての稼ぎは質より量で責めたほうが絶対に多くなる。まぁこれは派遣業に偏った話で、一括なんかで請け負うと話がまた少し変わってくるのだが、一般的に請負の作業も人月の計算が主流だ。人月の計算を出来る人でやるのか出来ない人でやるのかで言えば出来ない人でやるとはいわないものの出来る人でやるわけが無い。一般的に妥当だと思われる数字でこんなもんでいいかというところに落として、後は出来る人に出来ない人をくっつけて、あたかも出来ない人も作業しているかのように見せて作業を進めていけばいい。そうすれば会社も潤うし、一人で作業が出来ない人も金がもらえてハッピー。あー万々歳の結果だ。











って、馬鹿かと思う。





出来ないやつは出来ないなりに何とかその状況を打破しようとしろよ。出来るやつは天性の才能ってのがあるかもしれないけど、それ以上にその仕事が出来るようになるための努力をしてんだよ。出来るやつは出来ないやつを育てよう育てようとして仕事を振ってるんだよ。自分でやればそりゃはえーよ。お前が1ヶ月かかって出来てないことを1日でやれる自信はあるんだよ。ただ、それをやるとそいつのためにならないと思いながらしょうがなく色々やってんだよ。

もうすこしみんなが平等なソフトウェア業界というのは出来ないのだろうか。今の現状では会社としての稼ぎの面を考えるとどうしても質より量のほうが稼げるというのが現実だ。出来るやつは日々モチベーションを減らしながら、自分はこいつを育てているんだっていう自己満足におぼれながら、こいつがもうちょっと育てば俺が楽になるっていう幻想を抱きながら神経をすり減らしていくんだ。

僕が出来る人間だっていう自信も根拠も無いけど、周りの出来る人間を見ていると悲しくなってしょうがない。。。そして、自分が頑張って手に入れた技術も出来ないやつの補填のために使われていくのかと考えるとさらに悲しくてしょうがないし、頑張る気力がどんどんと下がっていく。やっぱり今の世の中で技術者が大成するには会社という枠組みを取っ払って自分の腕だけを信じて頑張っていくしかないんだろうか・・・。