鬱病の認識が広まった結果、鬱病患者は増えてるんじゃないのか?

最近鬱病の人が社会で増えつづけている。これは実は、僕の認識としては鬱病の人が増えたというよりも鬱病という病気が社会に広がったおかげでみんなが自分は鬱病じゃないのか?ということを考え出した結果によって広がったんじゃないのかと思う。

鬱病は最近出てきたものなのか?

鬱病というのは僕が知る限りでは、大きなストレスによってホルモンのバランスが崩れて起こるものだと思っている。じゃあ、最近ストレス社会だといわれているけど、昔に比べてそんなにストレスというのは増えてきたのだろうか?生物というのが一番ストレスを感じるもの。それは「死」というものだろう。昔に比べて人は確実に死ににくくなったと思う。食料の供給は安定したし、建物が出来たことによって外敵からも守られている。昔の人は外敵を恐れ、明日の食べ物を不安に感じそれは多大なストレスを感じながら生きてきたのだろう。そんな人たちの中でも鬱病というものは存在したのだろうか?

僕はそんなことは無いと思っている。

鬱病が広がった理由

誤解を恐れずにいうのであれば、鬱病という病気が確立したことによって自分が鬱病だと考える人が増えたことによって、昔ならどうでも無いようなことでも鬱病かもしれないと考える人が出てきたんじゃないかとも思う。鬱病が一般的になったことによって、鬱病じゃないかと考える人が増え、さらに周りの人もだるそうな人に対して鬱病じゃないのか?との疑いをかけるようになった。さて、そういう人の次の行動はどうするのかというと、病院に診断にいく。本人は行きたくなくても、周りの人が診断させる。今の社会の一般的な行動としては、疑わしき人は診断させるはずだ。じゃあ、病院の先生はどう診断するかというと、99%ぐらいの確率でその人のことを鬱病だと診断するだろう。

そりゃそうだ。「最近からだがだるくて全然やる気が出ないんですよ。毎日起きるのもつらくて会社に行くのもきついんです・・・。」とかいう患者がきたら鬱病と診断せざるおえないんじゃないかと思う。それで、「大丈夫ですよ。鬱病じゃないですね」なんていって次の日に自殺でもされたらたまったもんじゃないし、鬱病なんて初心で分かるものじゃないだろうし。まずは経過を観察するという大義名分のもとその人をとりあえず鬱病と診断するんじゃないのかと思う。で、その結果として、鬱病患者が飛躍的に増えていくんじゃなかろうか。

これは望まれた結果なのか?

確かに鬱病というものが広まったおかげで、本当に治療しなければならない人にはいい社会になったんだろう。治療しなければ自殺していたような人が生きているのは鬱病というのが社会に広がった結果だと思う。これは本当にいいことで、失っていたかもしれない命が残っているという功績は大きい。だけど、その人は鬱病という存在を知らない状態で同じ状況にたったら鬱病になっていたんだろうか?鬱病という言葉・症状を知って、鬱病という病気はやる気が出なくなり、最終最悪の結果としては自殺してしまうかもしれないということを知ってしまったから鬱病というものになってしまったんじゃないだろうか?

外から見える病気というのは非常に分かりやすい。体のどこかを怪我をすれば痛みを伴うし見て分かるような症状も多いだろう。それは自分が怪我をしているということを本人自身も見た目で判断しやすい。でも心の病気というのは全く違う。外からは全く分からず、それは本人も分からない。少しでも体がだるかったりしたときに、もしかしたら鬱病なんじゃないのか?っと考えること自身がストレスになって鬱病というものが広まってしまったりしてないんだろうか?

まとめ

心の病気というのは接し方が難しい。そして、本人も自分が病気であるということが分からない。人間の思い込みというのはすごいもので、体は自分が信じたほうに進んでいくものだ。効果が無い薬を飲んで病気が治ったというのも思い込みの力だ。じゃあ、鬱病という病名・病状が広がったことによって本当は鬱病にならなかった人までもが思い込みの力で症状がひどくなったりしないんだろうかと最近思う。鬱病という病名を広めて、鬱病という症状を広めて、鬱病の患者との接し方を広めることで鬱病患者を早期発見して鬱病患者を少なくしようとしているはずなのに、実は逆効果をもたらしたりしていないだろうか?

治療法が見つかっていない心の病というのは、一般社会には広めないほうが病気の対策としては実は一番いいんじゃないか?とか思ってみたりもする。