全てが「運か縁」だなんて寂しい

どんな人でも最初の一歩を踏み出すそのきっかけは運か縁。

http://d.hatena.ne.jp/ymScott/20080301/1204362967

その人の今までの経験や考え方、性格や周りの人に至るまで全ての要素が絡まりあって決まるもの。だから、そんな簡単に「運か縁」って言葉では片付かないんじゃない?

そこで一歩踏み出すのはその人の勇気であったり努力であったりセンスであったりするかもしれんけど、本当に最初のきっかけは大抵「運が良かったor悪かった」か「縁があった」でしか片付けられない。
というより、人生ってのは本人が制御できない「たまたま」の積み重ねでできている。

全ての要素が「運か縁」で決まってしまうって面白くないじゃない。もうちょっと努力の要素も入れようよ。例えば、ある人が何かのサービスを思いついたとしましょう。ブログでもいいし、wikiとかでもいいよ。それを閃くには閃くなりの知識が必要で、閃いたら全てが終わりってわけじゃなくてそこから更なる努力が必要でしょ。それを「運や縁」とか「人生ってのは本人が制御できない「たまたま」の積み重ねでできている」なんて簡単な言葉で片付けてほしくない。

努力をすれば誰でも成功者になれるとまでいえませんよ。でも、誰でも努力はすべきだし、成功している人は誰でも努力をしている。「たまたまですよ。運がよかったんです」とかいう成功者の人もいるけど、あんなのは嘘でしょ?もしくは、違う人がすれば僕ってすごい努力しているって思うことがその人にとっては普通か。

僕はきっかけも「運か縁」ではないし、それを成功させるのも「運か縁」ではないと思う。というかそう思いたい。きっかけをつかむためにも努力が必要。その人が向かいたい方向に努力して努力して努力した結果「きっかけ」が出来るものでないと人生が面白くない。人生なんて自分が思った道に進んでいくもので、成功者は成功のビジョンのみを見てわき目も振らずに努力を行った結果成功したものだと思っている。

人生は自分が考えているほうに進みやすくなる。95%ぐらいは自分が考えている方向に進んでいくもの。だから、みんな一生懸命努力をするし、頑張る。それなのに、「運か縁」とか「たまたま」とか簡単な言葉で片付けてほしくない。周りの目から見た、その「運か縁」とか「たまたま」とかをその人が手にするためにその人は多大な努力を行っているはずなのだから。