何事も判断するには多くの材料が必要

いいもの*1に触れたときにそれがいいものだというのは分かるけど、どれぐらい良いものなのかという尺度はその人がそのものに対してどれだけたくさんのものと触れ合ってきたかによるんだと思った。

例えば、1〜100までの100段階のレベルがあるものがあったとして、↓みたいに触っていたとする。

レベル 1 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100
一般人
マニア
セレブ

一般人が80のものと触れたとしても、尺度が少ないから20より良いということは分かっても50のものと80のものの区別がつかないんだろう。逆にセレブは20のものに触れても50より悪いってことしかわかんないんだろう。

何でも、いいものがいいっていうのは分かるんだけど、それがその種類の中でどの程度いいものなのかというのはその種類のものとどれだけ多く接しているかによって分かると思う。これはなんにでもいえることで、あるものを判断するためにはそれと同一種別の多くのものと触れておく必要があると思う。きれいなソースコードであると判断するためには汚いものからきれいなものまで多くのソースコードに触れておく必要があるし、使い勝手のいいエディタであると判断するには使い勝手の悪いエディタから使い勝手のいいエディタまで多くのエディタと触れておく必要がある。

多くのものと触れておかないとどうしてもコメントや判断が薄いものになってしまう。なんで、一般人が知ったかぶって80のものに触れてセレブやマニアの前でうんちくをたれてると、一般人が80の物に触れるのは非常にもったいない気がしてお前には50レベルのもので十分だよって思ってしまうんだろうなぁ。

今日、僕はあるいい物に触れた。

それがいいものだというのは分かったけど、どの程度いいものなのかは僕には判断がつかなかった。それによってセレブに馬鹿にされたわけでもマニアから笑われたわけでも無いんだけど、いいものがどれだけ良いものかというのが分かるためには多くのいいものにておく必要があるんだなぁって思った。

まぁ40のものでも80のものでも喜べるという点では一般人が一番得な気がするなぁ。セレブなんて、50が最低ラインだから40のものに触れても感動も何も無く、一般人にとって良いものが逆に悪いものに感じてしまうんだから。

*1:ここで言っているいいものというのは値段が高いものじゃなくて、質が良いもののこと