人に上も下もないと思うよ

↓を読んでの雑感


この自分のことを話している子の気持ちはなんとなくだけど分かる。僕も昔は人を小ばかにして生きてきたし、今でもそのくせは抜けていないといえば抜けていない。けど、人に上と下というのを決めて接するのは非常にもったいないことだと思うんだ。

その自分が好きな部分で有名になった後で、自分に興味のない部分や、努力の足りない部分を他の人で補おうとしているからだろう。そして現在、彼はその目指すべき目標達成の為に、あれこれ試行錯誤しながら動いている。

他人を使える様に行動している、18歳の男の話

人が一人で出来ることってものすごく限られていて、なにか大きなことをやろうとしたときは、どうしても他人の力が必要になるときがくる。で、そのときに必要な人を「使える人」、必要でない人を「使えない人」と分類して付き合ったとするじゃない。そうするとどうしても自分が進もうとしている道、自分がこうなりたいと思う道に近い人が「使える人」として判断される可能性が高いんだよね。そうやってどんどん人を区分けしていくと必然的に狭い人間関係になってしまって自分の考え方がどんどん狭くなっていってしまうんだ。

イデアとか感性とかって僕の中では人付き合いの中で生まれるものだと思ってる。人付き合いが狭い人は狭い感性でしかいろんな物事を判断できないし、人付き合いが広ければ広い感性でいろんな物事を判断できると思うんだ。この人付き合いの幅がいろんなことをやる上で結構重要なんじゃないかな。

人はそれぞれに長所と短所を持っていて、「使える人」とか「使えない人」っていうのはその人のある一部分を見て判断していることなんだよね。たった一部分だけで「使える人」とか「使えない人」とか分類するのはもったいなくないかな。その人が「使えない人」だと判断してしまうとその人がやることなすことを「どーせ、使えない人がやってることだし」っていう先入観をもって判断しちゃって、先入観なしでその人と接していたらもしかしたら学べたかもしれないものを学べない可能性も出てくるんだよ。

で、人に上と下というのをつけるのも一緒。

  • 会社の役職者だから上、ニートだから下
  • 話がうまいから上、話が下手だから下
  • かっこいいから上、かっこ悪いから下


どれもその人の一部分しか見てないんだ。総合的に評価して僕より下って思ったりすることもあるだろうけど、その総合的っていうのはどっかしらの一部分をみての総合的なんだよね。人が人の全てを判るって言うのは僕は不可能だと思っていて、全てを分かるのが不可能な時点で総合的に評価するって言うのは無理なんだよ。っということは、人に対して自分が上か下かっていうのは自分の主観の話でしかなくなってしまって、そんな評価は何の意味も持たないんだよね。

人の何かしらの力に対して、上か下かの評価をつけるのは出来る。けど、人としての上か下かをつけることなんて出来ない。出来ないことをわざわざやって人付き合いを狭くしていくのは非常にもったいないことだと思うよ。この若者も人を使うって考え方で人を見るんじゃなくて、自分がやりたいことを一緒にやってくれる人として周りの人を見たほうが良いんじゃないかな。それだけ心理学のことを言う人なんだろうから表面上はうまくやってるかもしれないけど、表面上の演技って言うのは結構ばれるものですよ。