先生の教育と職場の教育との違うものだと思ったほうがいい

最近新人やら何やらを教育する機会が増えてきたからちょっと考えてみる。

  1. まずは相手が悩んでいる事を明確にする:相手が何を求めているかが分からないと解決にならない。
  2. (卒論生の成長にちょうどよい課題であるならば)聞きたい事に対してわざと答えない
    1. 答えが分かる場合:まず、質問者に「自分はどうしたいのか」を尋ねて、その後、それをするためには何をすればよいのかを質問で誘導していく
    2. 答えが分からない場合:まず、質問者に「自分はどうしたいのか」を尋ねて、その後、それをするためには何をすればよいのかを質問しつつ、私も考える
  3. 課題設定をさせる:では、次に何をするかを質問者に決めさせる。そして、そう判断した根拠を質問する
よい先輩とよい先生は違うみたい - 発声練習

先生が教えるのと働きながら仕事を教えるのではやはり考え方が全く違う。
僕の職場での教育で常々心がけていることは「質問をしやすい環境を作る」ということだ。そのために実践していることを以下に記述してみる。

相手が悩んでいるかを気にかける。
最近の若いものはという気もないが、わからないことをわからないと言わない(言えない)人間が非常に多い。仕事などで詰まるだけ詰まってどうしようもなくなってからしか質問に来ないケースが多いので、とりあえずいつでも悩んでいないかを気にかける。煮詰まっているときには声をかけてやりたい。
質問に来たことに対しては誠意をもって接する。
質問してきたことに対しては誠意を持って答える。その質問をするために質問者がどれだけ勇気を振り絞って聞いたのかもわからないし、どれだけ考え抜いた結果の質問かも質問される側からすればわからない。そのためどのような質問に対しても誠意を持って解答する。質問に対してはきちんと誠意を持った解答をすることで、次からも質問をしやすい環境ができあがる。
自分の考えを述べさせる。
質問者が質問に対してどう考えているかを述べさせることでどの程度把握しているのかを読み取る。これにより、適切なアドバイスを行うことができる。それと同時に、「自分はこのように考えている」と理論的に喋る練習になる。自分の考えを喋ることが出来ない社会人にさせないために、できるだけ自分の考えを発表する場を多く持たせることは非常に重要だと思う。
答えは自分で導き出させる。
質問に対しては全てを教えて納得させるのではなく、最終的には自分で考えて結論が出せるようにもって行く。考え方の筋道が間違っていないので場合は、軽いヒントを出してそのまま調査を続けさせる。全く間違っている場合は、その間違っている点をきちんと説明してやり、軌道修正を行って様子を見る。
わからないことに見栄を張らない。
相手の質問に対してわからない場合は、わからないと正直に答える。あの人は何事にも適当に答えを出すなぁと思われるよりもわからないことはわからないといったほうが信頼を失いにくい。全てをわかっている人間などいないのだから、見栄を張る必要は全くない。

結論

聞かれれば教えるし、聞かれなければ教えないというスタンスで最初はやっていたが、それだとどうしても質問をできない人が多い*1。質問できずに火を噴くのを待つなら、火を噴く前にその人物に対して気をかけていたほうがよっぽど楽だと気づいてからはずっと質問がしやすい環境を作るように心がけている。

言い方が悪いかもしれないが、生徒がわからずに頭を抱えていようが先生が被害がこうむることは少ない。もちろん学力の低下で文句を言われることはあるだろうが、その生徒の分の勉強を変わりにやるということは確実にない。しかし、職場の教育では失敗すると自分に被害が降りかかってくることが多々ある。この教えないことによる実質の被害が有り無しが先生の教育と職場の教育の最大の違いだと思う。

*1:実は、僕が怖いから質問しにくいだけなのか?