全てのデータをサーバに保存する恐怖

以下を読んでの雑感

データが保存してあることの考え方の違い

ところがAndroid 携帯は、電話帳だとかカレンダーに記録したスケジュール、今までのメールなんかがすべてWeb 連携になっていて、データはGoogle 側に補完されていた。新しい携帯電話に交換していただいて、自分のメールアドレスとパスワードとを登録したら、新しい携帯電話は、その場で「自分の携帯」になって、今までどおりに使えるようになった。

携帯が壊れて立ち上がらなくなったけど、Googleのサーバに使っていたデータが保存されていたから、それを全部持ってくることでほぼ元通りに復旧できたって言う話なんだけど、これを便利と思うか怖いと思うかの感覚の違いってあるんだと思う。

サーバにあるデータというのはGoogleのサーバを管理している人からすればいつでも見ることが出来る。見ることが出来るって言うだけでそれこそ無限とも思えるほどのデータをわざわざ見るわけ無いと思うかもしれないけど、見ようと思えば見れる。この見ようと思えば見れるって言うところが怖いんだよね。確かにサーバに携帯のメールデータや電話帳のデータがあるというのは非常に便利だと思う。携帯が壊れたときもサーバにデータがあれば消えることは無いし、復旧も簡単だし乗り換えも簡単。だけどこれって非常に怖いことだと思わない?

データのプライバシーの重要性

もし、とある人が携帯のメールだとかアドレス帳だとかのデータを数十年ためてたとするじゃない。で、サーバにアクセスできる権限がある人がその人のこと調査するのは非常に簡単なんだよね。メールで誰かと会う約束とか普通にするわけで、「何月何日にこの人はこの人とデートしていた。」とか、「この人はこの時期にhogehogeさんによく電話してたんだなー」とかそれを見るだけで、その人の私生活はほぼ丸裸に出来ると思うんだよね。

まとめ

サーバに保存されていることと、自分の携帯端末だけにしかないってことは全然意味が違うんだよね。

サーバにおいても大丈夫なデータとサーバにおきたくないデータってのが世の中にはあると思う。使う人のプライバシーに近づけば近づくデータほどサーバに置くべきではなくて、そういうデータは全てローカルで管理すべきだと思う。まぁ、そんなこといってもメールを連携しているサーバとかが全てのデータを消さずに保存している可能性は捨てきれないし、ハッキングとかもあるんだけど、それでもサーバに明示的に保存しているよりも安全だと思う

最近Evernoteに全てのライフログを残すことが流行ってるけど、こういうことを考え出すとコンピュータに全ての記憶を任せるってのは考え物な気がする。あなたが何気なしに保存しているそのデータが悪用されない可能性は捨てきれないのだから・・・。

言語適正ッターを作った

Twitterジェネレータが流行ってそうだから、言語適正を出してくれるサイトを作った。

画面イメージ


概要

入力されたtwitter IDからむいているであろう言語適正と言語適性に応じた生涯獲得賃金を出力します。

感想

思ったより作成するのに時間がかかったなー。みなさん、どうぞ使ってやってください。

知っておきたい「暗算テクニック」を証明してみた

ホッテントリーに暗算テクニックが上がっていた。

なんでこれで計算できるのかがよく分からなかったんで、ここで紹介されている暗算テクニックを証明してみた。

「焼肉じゅうじゅう」方式の暗算って?

「17 x 18」を焼肉じゅうじゅう方式で計算した場合

  • 17に8(「18」の一の位)を足して「25」
  • これにゼロをつけて「250」
  • 一の位どうしをかけて、7 x 8 = 「56」
  • これをさっきの「250」と足して、答えは「306」

「じゅういくつ x じゅういくつ」の掛け算の簡単なやり方らしい。これを数式で証明してみる。

17 × 18 = (10 + x) × (10 + y)
         = 100 + (10 × x) + (10 × y) + (x × y)
         = 10 × (10 + x + y) + (x × y)
         = 10 × (17 + 8) + (7 × 8)

最後の数式が問題文の計算式と同じになるから、この計算方法は正しいってことがわかる。

「1の位が5」の2乗もラクラク

45の2乗(45 x 45)の場合
1の位が5の整数は、"5"を除いたケタの数にその次の数をかけ("4"ならその次の"5"をかける)、下2ケタに25をつけた数が2乗になる。

  • 「45」の場合、5を除いた4に5をかけて4 x 5 = 「20」
  • この20の後に下2ケタ25をつけると、答えは「2025」になる。

「1の位が5」の2乗の簡単なやり方らしい。これを数式で証明してみる。

45 × 45 = *1 + 25
         = (100 × (x × (x + 1)) + 25
         = (100 × (4 × (4 + 1)) + 25
         = (100 × (4 × 5)) + 25

最後の数式が問題文の計算式と同じになるから、この計算方法は正しいってことがわかる。

「2ケタの2乗」を暗算するには?

例:52の2乗(52 x 52)の場合

  • 右から左に下1ケタの「2」をプレゼントして54 x 50 = 「2700」
  • この2700にプレゼントした2の2乗の「4」を足して、答えは「2704」になる。

「2ケタの2乗」の簡単なやり方らしい。これを数式で証明してみる。

52 × 52 = (((10 × x) + y) ^ 2) + (y ^ 2) - (y ^ 2)
         = (((10 × x) + y) + y) × ((10 × x) + y) - y) + (y ^ 2)
         = (((10 × 5) + 2) + 2) × ((10 × 5) + 2) - 2) + (2 ^ 2)
         = 54 × 50 + 4

最後の数式が問題文の計算式と同じになる(ry

「線を引くだけ」でかけ算ができる?

「紙に線を引いていくだけでかけ算ができる」という方法を証明してみよう・・・っと思ったけど図を描くのがめんどくさいから文字だけで。

一番左は10の位の線が交差されるわけだから10の位の掛け算の結果となる
真ん中は10の位と1の位の線が交差されるわけだから10の位と1の位の掛け算の足し算の結果となる。
一番右は1の位の線が交差されるわけだから1の位の掛け算の結果となる

これなら普通に計算したほうが速いと思う。

まとめ

ちょっとした気晴らしになった。数式を証明するのは簡単だけど、簡単に計算できる数式を導き出すのは難しい。

*1:10 × x) + 5) × ((10 × x) + 5) = (100 × x ^ 2) + (50 × x) + (50 × x) + 25 = (100 × x ^ 2) + (100 × x) + 25 = (100 × (x ^ 2 + x

匿名とかいわれてもしら〜よ

ブログとかの匿名・実名どっちが良いか問題。何ヶ月かおきにこの話が出るんだけど、結論ってあるのかな。

僕にとってのブログの立ち位置としては匿名派。これは携帯で書いてるからリンク張れないけど、前にそれについては書いた。覚えてたらリンク張ろう。

それでね。話を戻して、匿名派と実名派がなんでわかりあえないかって考えると、理由はブログやらへの立ち位置によるんじゃないかって思うんだ。実名派の人はブログとリアルを近づけたい。匿名派の人はブログとリアルを近づけたくない。やりたいことが違う二人が自分がやってることを相手に理解させようとしても難しいんだよね。

一人は現実世界につながるのは楽しいよって言ってるのにもう一人はリアルとつながるのが嫌だって言ってるんだから話が通じる訳ないよね。最初から立ってる場所が違ってお互い歩み寄らないんだから、言い合うだけ無駄だと思うんだ。

でさ、なんで実名派の人は匿名派に対して、やれ度胸がないとか、やれ楽しみが少ないだとか言いたがるのかな。別にどっちでも良いじゃない。匿名には匿名の良いところがあるんですよ。

適当なことを自分が好きなときに好きなだけ書いてさ、誰かから文句言われたら消しちゃえばいいんだよ。匿名だから責任も少ないしさ。

要は自分が書いてることに自信がないし、自分が書いたことに責任をとるつもりがないんだよ。簡単に言うと勇気がないの。

そんな人間がいても良いじゃない。みんなが実名派になってごらんなさいよ。実名派の信憑性ってのがなくなるんだよ。今まで優位に立ててた部分がどっか行っちゃうんだよ。もったいないじゃない。

僕はこれからもこのブログは適当なことを思いついたときにすきなだけかく。それが僕のブログとの接し方なのだから

新しいことを始めるあなたへ

何か新しいことを始めようとするとき、人は時間を作ろうとするよね。

睡眠時間を削ったり、いろんな行動を効率化して時間を短縮したり、移動時間とかいままで何もしていなかった時間を使ったりとかね。

でも、これは失敗する確率が高いと思うんだ。だって、人間が生きる一日の時間っていうのは全員に平等で、時間そのものを増やすことはできないよね。それなのになんとかして時間を増やすっていうのは、詰め込んでるだけなんだよね。簡単に言うと無理をしてる。

無理をして新しいことを始めたってうまくいくわけなくて、やめてしまうことは目に見えてわかる。じゃあ、どうやって時間を作るかといったら、今やってる何かを削るのが一番無理なく時間を作れる方法だと思うんだ。

テレビを見るのをやめたり、食事を作ることをやめたり、掃除を人に任せたりとかね。

新しいことを始めようとするときは、根本的に無理な時間をふやすってことに目を向けずに何かをけずる方法を考えるほうが簡単だと思うよ。

有限な時間に無理やり押し込むのは、僕はあんまりオススメしないなぁ

思ったことは書き残した方がいい

タイトルのまんまなんだけど、思いついたこととか閃いたこととか、なんでも吐き出した方がいいと思う。

思いついたこととか閃いたことっていうのは、はじめの段階では良いものである可能性は結構低いんだとおもう。これをなんらかの形でアウトプットを出すことによってその考えが洗練されるんじゃないかな。

僕がこうやってブログに自分の考えを書いている大きな理由がそれなんだよね。自分の頭のなかにあるもやもやを、文字という見える形にすることで考えがまとまり、最初はしょうもない考えだったのが、しゃべれるぐらいにはまとまるんだよね。

そうやって自分が自分である確固たる考え方をもって、それをちゃんとしゃべれる形で保持するってのは自分という人間を大きくする上で重要なことだと僕は思うよ

人に上も下もないと思うよ

↓を読んでの雑感


この自分のことを話している子の気持ちはなんとなくだけど分かる。僕も昔は人を小ばかにして生きてきたし、今でもそのくせは抜けていないといえば抜けていない。けど、人に上と下というのを決めて接するのは非常にもったいないことだと思うんだ。

その自分が好きな部分で有名になった後で、自分に興味のない部分や、努力の足りない部分を他の人で補おうとしているからだろう。そして現在、彼はその目指すべき目標達成の為に、あれこれ試行錯誤しながら動いている。

他人を使える様に行動している、18歳の男の話

人が一人で出来ることってものすごく限られていて、なにか大きなことをやろうとしたときは、どうしても他人の力が必要になるときがくる。で、そのときに必要な人を「使える人」、必要でない人を「使えない人」と分類して付き合ったとするじゃない。そうするとどうしても自分が進もうとしている道、自分がこうなりたいと思う道に近い人が「使える人」として判断される可能性が高いんだよね。そうやってどんどん人を区分けしていくと必然的に狭い人間関係になってしまって自分の考え方がどんどん狭くなっていってしまうんだ。

イデアとか感性とかって僕の中では人付き合いの中で生まれるものだと思ってる。人付き合いが狭い人は狭い感性でしかいろんな物事を判断できないし、人付き合いが広ければ広い感性でいろんな物事を判断できると思うんだ。この人付き合いの幅がいろんなことをやる上で結構重要なんじゃないかな。

人はそれぞれに長所と短所を持っていて、「使える人」とか「使えない人」っていうのはその人のある一部分を見て判断していることなんだよね。たった一部分だけで「使える人」とか「使えない人」とか分類するのはもったいなくないかな。その人が「使えない人」だと判断してしまうとその人がやることなすことを「どーせ、使えない人がやってることだし」っていう先入観をもって判断しちゃって、先入観なしでその人と接していたらもしかしたら学べたかもしれないものを学べない可能性も出てくるんだよ。

で、人に上と下というのをつけるのも一緒。

  • 会社の役職者だから上、ニートだから下
  • 話がうまいから上、話が下手だから下
  • かっこいいから上、かっこ悪いから下


どれもその人の一部分しか見てないんだ。総合的に評価して僕より下って思ったりすることもあるだろうけど、その総合的っていうのはどっかしらの一部分をみての総合的なんだよね。人が人の全てを判るって言うのは僕は不可能だと思っていて、全てを分かるのが不可能な時点で総合的に評価するって言うのは無理なんだよ。っということは、人に対して自分が上か下かっていうのは自分の主観の話でしかなくなってしまって、そんな評価は何の意味も持たないんだよね。

人の何かしらの力に対して、上か下かの評価をつけるのは出来る。けど、人としての上か下かをつけることなんて出来ない。出来ないことをわざわざやって人付き合いを狭くしていくのは非常にもったいないことだと思うよ。この若者も人を使うって考え方で人を見るんじゃなくて、自分がやりたいことを一緒にやってくれる人として周りの人を見たほうが良いんじゃないかな。それだけ心理学のことを言う人なんだろうから表面上はうまくやってるかもしれないけど、表面上の演技って言うのは結構ばれるものですよ。